平成20年度 新年明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願いいたします |
☆平成20年 年始挨拶 文京学院サッカー部が、大きく躍進した平成19年が明け、新たな年を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。気軽な気持でスタートさせたこのホームページも、今では、文京学院の選手・保護者・卒業生だけではなく、他校の選手・保護者・指導者・学校関係者の方々、業者の方々、U15年代・U12年代の選手保護者の方まで訪問していただくようになりました。おそらく、頼りない中年教師と、それを支える下町娘たちとの人間模様が、読者の心をとらえたのでしょう。このページを作成し始めた当初は、保護者の方々への情報発信を意識していました。ところが、ある日、サッカーノートを読んでいて、「選手たちのほとんどが見ているのかもなあ」と思うようになり、選手に対して、試合や練習ごとのコミュニュケーションツールとしても使うようになりました。そして、このページに登場する他校の監督さんたちも、「毎日監視しておかないと、何を書かれているかわからない」という心理状態からか、いつの間にか愛読者となり、試合会場でもこのページの話題から一日が始まるようになり・・・ネタを探してウロウロする私の姿も、今では日常的なものとして、受け入れられるようになりました。「関東大会出場」という、創部以来の目標が実現でき、多くの方々に祝福していただいた2007年・・・高校選手権では第四代表、U18選手権では第三代表と、それぞれギリギリの出場でしたが、目標に2回も到達した選手たちに、感動と自信を与えてもらうことができました。「自分はサッカーの専門家ではない」・・・そういった不安を長い間抱いていました。しかし、そんな自分を勇気づけて頑張らせてくれたのは、選手たちでした。「間違ったっていいじゃないか・・・自分の頭で考えてやってみよう」・・・いつの日かそう思うようになり、自信を持って監督という職務を遂行するようになりました。もちろん、それが過信となって失敗したこともありました。しかし、それも経験・・・そう言い聞かせて、次へ、次へと、考えるようになりました。2008年・・・選手たちは、「全国大会出場」という新たな目標を持つようになりました。もし、昨年、全国に行っていたら、U18大会では、関東には行けなかったと思います。もちろん、負け惜しみですが・・・しかし、昨年までは、関東という目標、今年からは、全国という目標で一歩一歩進んで行く方が、建設的であり、実力もつくのだろうと思っています。全国に出るからには、全国のチームと戦えるようになってからでなくては意味がない・・・まだまだ文京は足りないものがある・・・選手たちもそう思っているようです。明治神宮に初詣に行った高2生を代表して、宮下選手から12月31日23時39分にメールが入りました。「まだまだお賽銭までは遠いですが、全国行けますようにとお願いして帰ります!」・・・明治神宮のお賽銭場所までの道のりと、全国への道のり・・・いずれも競争が激しく、到達するには時間がかかりますが、あきらめないで、一歩一歩進んで行けば、必ずたどり着くことができる・・・きっとそう思ってくれたことでしょう。自分には、もうひとつ大きな責任があり・・・それは女子サッカーそのものの普及・発展に寄与すること・・・今までお世話になった方々へ恩返しをする意味でも、もう少し頑張って、女子サッカーをPRしていかなければなりません。日野先生をサポートし、全国高体連の加盟に向け、本格的に動かなくてはならない年になると思います。また、関東地域における各年代の大会運営・トレセン活動などの事務局として、各都県の委員長の方々と技術委員長のパイプにならなくては・・・この仕事は2008年が最後になるよう、頑張らせていただきます。今年も忙しい年になると思いますが、皆様のサポートを頂きながら、楽しく過ごさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 平成20年1月2日 文京学院 床爪 |
☆平成19年 年始挨拶 平成18年は文京学院サッカー部創部10年目の記念すべき年でした。しかし、サッカー部にとっては、関東大会出場という大きな目標を実現することができず、選手たちには悔し涙をたくさん流させてしまった1年間でした。先日、ある保護者の方から、「先生は忙しすぎて、子供たちの心のケアまで出来ていない」と、ご指摘を受けました。大学在学中からはじめた塾教師時代を入れれば、20年以上教育現場に立ち、様々なタイプの高校生と関わり、自分なりに子供たちの心をつかむことには他の教師には負けないという自信がありました。しかし、その自信が、いつしか過信になっていたのかもしれません。どんなに忙しくても、言い訳をせず、生徒のことを常に第一に考えられる教師でなくてはならないと、再認識しました。 文京学院サッカー部の発展を考えたとき、同時に女子サッカーそのものの発展が必要と、東京や関東の女子サッカー全体の普及・発展のために奔走し・・・自分のチームのためには、遠征のためにバスの運転ができるようにと大型免許を取得し、グランドの手配から始まり、有能なコーチの採用、U15スクールの開講など、ありとあらゆる手段を使って部の発展に努力してきたことで満足してしまい、一番大切な、選手たちの心の把握が十分にできていなかったのかもしれません。これでは経営者としては評価されても、指導者としては落第なのだと痛感しました。 リーグ最終戦の十文字戦前、入試業務で大忙しの学校を抜け出し、グランドに立ち、一人一人の心の様子を少しでも把握しようと努力しました。十文字戦を勝利で終えたときの選手たちの嬉しそうな顔と、試合後に「ありがとうございました」と、お礼に来た選手たちを見て、比類なき満足感を感じることができました。考えて見れば、サッカー部の監督になって、試合後に選手にお礼を言われたのは初めてのことだったと思います。三保の森遠征の帰りのバスの中で、唐突に「先生!来年は絶対先生を関東に連れて行きますから・・・」と言われ、驚きと同時に、選手たちの底知れぬ思いに、疲れも吹き飛び、「平成19年も頑張るぞ!」という意欲を沸かせてもらいました。 2007年が充実した1年になりますように・・・・・ 2007年1月1日 文京学院 床爪 |
監督挨拶(ホームページ立ち上げにあたり・・・) サッカー選手として何の実績も無い私を、暖かく迎え入れ、ご指導していただいた女子サッカー先駆の先生方、素人監督を信頼し、多大なる協力をしていただいた保護者の方々、そしてひたむきに頑張ってくれた選手たち・・・みなさんに支えられ、文京学院サッカー部は発展の一途をたどることができました。そして、平成17年度より、日本体育大学サッカー部出身・伊藤直哉コーチを迎え入れ、今までできなかった基本技術の徹底指導と、DFの幅と厚みを取り入れ、文京学院のサッカーを大きく進化させることができました。高校の部活は、「勝つことがすべてでは無い」という考えも正しいと思いますが、「勝たなくては得られないもの」があると思っています。「自信」という、自らをさらに高めるための原動力を手に入れるため、全力でがんばりたいと思っています。この10年間、たくさんの方々にサッカーを教えていただきました。そのひとつひとつを集約し、たくましい文京学院サッカー部を作り上げていきたいと思っています。 平成19年度より、高校部は床爪、中学部(U15)は伊藤が、それぞれ責任を持って指導に当たっております。中学・高校年代に、すくすくと伸びていく選手を育てられるようにがんばっていく所存です。どうぞ、よろしくお願いいたします。 文京学院サッカー部 監督 床爪 克至 ●昭和39年11月5日生まれ O型 大学を卒業後、塾教師をやりがてら、タレント業を目指すが挫折。 27歳のときに、文京学院大学女子高校に英語教師として赴任。 当時文京学院体育講師であった、吉田宏一氏(帝京高校・日本体育大学サッカー部出身 現駒込高校男子サッカー部監督)と意気投合し、女子サッカー部顧問となる。翌年、吉田氏が転勤・・・右も左もわからないまま、サッカー部の代表となり、4月の監督会議に出席。その席上で、村田女子高校の矢代先生に声をかけられ、事務仕事を任される。「強くなるためには、まずは、人が嫌がる事務局からやれ!」というバレー部監督の教えに従う。平成11年、十文字高校石山先生とともに、高体連サッカー部女子部発足に成功。当時の委員長、平山隆造先生、副委員長(現委員長)大倉健史先生に、多大なるご尽力をいただき、女子サッカー都総体が実現。このころから学校での仕事はサッカーだらけに・・・そのおかげで、妻沼・草津・吉原などのトップレベルの大会に、何の実績も無い文京学院が呼ばれることになる。また、2000年から2004年までの5年間、U18選抜のスタッフとして、江戸川女子高校(来年度より関東学園)の山口重信先生、十文字高校の石山隆之先生、日テレ・メニーナの寺谷真弓監督のお手伝いをしながら、多くのことを学ばせていただいた。(U18東京選抜チームに、唐崎尚子、仲優希も所属し、文京学院の知名度を上げてくれた。)平成16年度、村田の矢代先生を引き継ぎ、高校部会長に就任。平成17年度、関東サッカー協会女子委員会事務局長を引き受ける。また、同年、関東高校女子サッカー専門部の立ち上げにともない、本庄第一高校日野先生のもと、同専門部事務局および、日本サッカー協会高校担当関東地区代表(日野先生は東日本地区代表)を担当。今までお世話になった方々に、少しでも恩返しができるように、学校の仕事よりも優先して女子サッカー界の発展のために奮闘中。 |