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監督挨拶 
創部以来、多くの人に助けられ、ようやく10年を迎えました。サッカー選手として何の実績も無い私を、暖かく迎え入れ、ご指導していただいた女子サッカー先駆の先生方、素人監督を信頼し、多大なる協力をしていただいた保護者の方々、そしてひたむきに頑張ってくれた選手たち・・・みなさんに支えられ、文京学院サッカー部は発展の一途をたどることができました。そして、平成17年度より、日本体育大学サッカー部出身・伊藤直哉コーチを迎え入れ、今までできなかった基本技術の徹底指導と、DFの幅と厚みを取り入れ、文京学院のサッカーを大きく進化させることができました。良い選手、良いコーチに恵まれた2006年は勝負の年にしたいと思っています。高校の部活は、「勝つことがすべてでは無い」という考えも正しいと思いますが、「勝たなくては得られないもの」があると思っています。「自信」という、自らをさらに高めるための原動力を手に入れるため、全力でがんばりたいと思っています。この10年間、たくさんの方々にサッカーを教えていただきました。そのひとつひとつを集約し、たくましい文京学院サッカー部を作り上げていきたいと思っています。また、U15年代の強化にも意欲的に取り組み、中学・高校年代に、すくすくと伸びていく選手を育てられるようにがんばっていく所存です。どうぞ、よろしくお願いいたします。

文京学院サッカー部 監督 床爪 克至
●昭和39年11月5日生まれ O型 

大学を卒業後、塾教師をやりがてら、タレント業を目指すが挫折。
27歳のときに、文京学院大学女子高校に英語教師として赴任。
当時文京学院体育講師であった、吉田宏一氏(帝京高校・日本体育大学サッカー部出身 現駒込高校男子サッカー部監督)と意気投合し、女子サッカー部顧問となる。翌年、吉田氏が転勤・・・右も左もわからないまま、サッカー部の代表となり、4月の監督会議に出席。その席上で、村田女子高校の矢代先生に声をかけられ、事務仕事を任される。「強くなるためには、まずは、人が嫌がる事務局からやれ!」というバレー部監督の教えに従う。平成11年、十文字高校石山先生とともに、高体連サッカー部女子部発足に成功。当時の委員長、平山隆造先生、副委員長(現委員長)大倉健史先生に、多大なるご尽力をいただき、女子サッカー都総体が実現。このころから学校での仕事はサッカーだらけに・・・そのおかげで、妻沼・草津・吉原などのトップレベルの大会に、何の実績も無い文京学院が呼ばれることになる。また、2000年から2004年までの5年間、U18選抜のスタッフとして、江戸川女子高校(来年度より関東学園)の山口重信先生、十文字高校の石山隆之先生、日テレ・メニーナの寺谷真弓監督のお手伝いをしながら、多くのことを学ばせていただいた。(U18東京選抜チームに、現在VIDAで活躍する、唐崎尚子、来年度より神奈川大学に進学する仲優希も所属し、文京学院の知名度を上げてくれた。)平成16年度、村田の矢代先生を引き継ぎ、高校部会長に就任。平成17年度、関東サッカー協会女子委員会事務局長を引き受ける。また、同年、関東高校女子サッカー専門部の立ち上げにともない、本庄第一高校日野先生のもと、同専門部事務局および、日本サッカー協会高校担当関東地区代表(日野先生は東日本地区代表)を担当。今までお世話になった方々に、少しでも恩返しができるように、学校の仕事よりも優先して女子サッカー界の発展のために奮闘中。

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