卒業

卒業生の教室
卒業生の教室

 卒業のシーズンがやってきた。高校などは3月に入ってすぐに卒業式があるところが多い。中学も上旬にやってしまったような覚えがある。でも、卒業という言葉が似合うのはやっぱり3月末のような気がする。

 この前、行きつけの写真屋さんに行ったら大学生の卒業式だろうか、着物姿の女性が記念撮影をしていた。かくいう私も、卒業生に贈る写真を受け取りに行ったところで、妙に「卒業シーズン」を感じてしまった。これが今回のテーマを選んだきっかけ。

 僕の最近の「卒業」も、良くも悪くも区切りになっていると思う。その時は、妙に感傷的になったり、その学校のことを振り返ったり、ちょっと焦ったり。実感は今ひとつ湧かなかった。けれど、時間の経ったいま考えてみると、やっぱり区切りだったのだなぁ、と思う。
 その前後で僕がよくなったか? と聞かれたら「はい」とは答えられないけれど「いいえ」でもない。だけれども、変わっていることは確かだ。(なんか、今回の文章は変だ)
 実は、今年も本来だったら卒業していい年なのだ。というのは小学校の卒業式の後、3年後に卒業式、また3年後に卒業式で、3年ごとというのが卒業にはしっくりくる(大学は4年だからちょっとうまくいかなけど)。僕にとって、その3年目がこの春。
 こういうこともあってか、他人の卒業を見ると自分も卒業していくように感じてしまう。
 さて、話を元に戻す。卒業というのは名残を惜しんだりする物だと思う。受験があるとか、ゆっくりさせたい、とか言う理由で3月早々にあっさり卒業してしまうのはちょっと変な気がする。
 高校、大学になれば皆でどこかに行こう! と言う話がある。けれど、それは仲間は学校の仲間かも知れないけど、学校行事ではない。中学までさかのぼると、学校行事として卒業を名残惜しんだりする。仲のいい友人だけでなく、何のつながりもない人が集まる、そういう貴重な空間でゆっくり過ごす。こういうことがもっとあっていいと思う。


もどる