オリンピック

オリンピックシンボルが入ったマンホール
マンホール
長野オリンピックを記念してだと思います

 先週の金曜日、15日に20世紀最後のオリンピック、シドニー五輪が開幕した。翌日には、柔道男女で金メダルがでるなど、日本にとってはうれしいスタートとなった。

 オリンピックは平和の祭典である。今回、韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、ひとつのシンボルの下、同時に入場行進したことは「平和の祭典」の理念にそったものなのではないか。
 しかし、時代をさかのぼると、最近まで人種隔離政策を行っていた南アフリカはオリンピックに出場することができなかった。東西冷戦の時代には東側でオリンピックが開催されると西側の国はでず、東側で開催されると東側はでず、と言うこともあった。また、第二次大戦中にもオリンピックが中止になったことがあるという。
 しかし、その昔、古代オリンピックが開催されるときは、戦っている国同士であっても一時休戦をしてオリンピックを行ったという。
 それなのに、近代オリンピックはどうなのだろうか。果たして、平和の祭典という理想を実現してきたのだろうか。上に書いたように、今までは「平和の祭典」という理想は実現されてこなかったと考える。
 今はどうか、朝鮮半島、両国の同時行進に見るように平和を象徴する動きもある。しかしながら、東ティモールの選手は個人資格で参加するなど難しい部分もまだまだある。
 昔に比べると、世界の人々がお互いを認めあいながらスポーツをしていこうという、雰囲気は高まっているように思える。

 これから、オリンピックがどうなっていくのか。僕はオリンピック発祥当時から言われている「平和の祭典」であり続けることを願いたい。
 僕なんかが、「平和であれ」と言っても説得力がないし、僕自身実感がない。でも、世界200の国と地域から参加する人々が、平和であれと願う。また、かつて古代ギリシャのようにオリンピックを行っている最中は休戦する、と言うようなことが実現されるならこれ以上願ったことはないのではないか。

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