誕生日

僕の誕生日の頃の空
僕の誕生日の季節

 今週、9月27日僕の誕生日だった。誕生日でもいつもと変わることのない水曜日を過ごした。その翌日の28日、秋晴れの中のどかな住宅街を歩いて、久々に空気を感じて写真を撮りたくなった。
 いい季節に誕生日を持ったなあ、と思う。秋は、どこか枯れていく寂しさもあると思う。でも、それ以上に秋の空は晴れやかですがすがしい。

 二十何回か目の誕生日を迎えて、何か感慨深いものがあったか、特別なことがあったか、と言われたら特にない、と答えるしかない。もう、自分が何歳か分からなくなりつつある部分もあり、誕生日なんかどうでもいい、という雰囲気なっている。
 でも、それでいいのだろうかと思う。というのは、今日、このコーナーを書かなくてはいけないな、と思って、どういう文章を書こうかと思っていて思い出したことがあった。
 数年前の自分が書いた文にこういう一節がある「正月はありがたいか? 別に正月(と言う行事)はありがたくない。(中略)その正月が家族と向かい合ったり、自分を見つめ直すいい機会になるのだったらありがたい」。
 相変わらず、口だけの僕は自分で書いたことを実行で来ていなかった。誕生日も、ここで言う正月というように、自分のひとつの区切りとして、自分や自分と周りの関係を見つめ直す機会なのだと思う。
 こう考えると、もう何十何歳だからと言って、誕生日はうれしくない、とか誕生日を忘れてしまっていたりするのはもったいないと思う。もっと、自分に与えられた機会を活かさなくては行けないのだと思う。
 小さな機会を活かして大きな機会にしていく人、小さな機会に新しいものを見つけていこうとする人が、いろいろな分野で輝けるのだと思う。

 秋風の吹く気持ちのいい季節に、横浜の8000km南から届く輝いている人々のニュースを聞いて、そんなことも思いました。しばらくシドニーオリンピックの熱戦に耳を傾けつつ、程々に秋の夜長を楽しみたいと思う。

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