紅葉

紅葉する山の写真
紅葉する山

 いま、ちょうど僕の住んでいる関東平野で紅葉の見頃となりつつある。冬のモノトーンに向かっていく中にあって、秋の紅葉というのはぱっと鮮やかになる不思議な一瞬である。

 前に泊まった民宿のおばちゃんがこういう事を言っていた「紅葉がきれいだという人も多いけれど、私はあまり好きじゃありません。どうも、これから閉ざされた冬の季節を思うと、枯れていくというイメージが大きくて」。
 雪国の民宿であったので、もっともなことだと思った。その後、この紅葉とさみしげなイメージと言うことを自分の中で消化できないまま友人とやりとりがあった。夕日がきれいだという友人に対して、僕は「それは、しずんで行くものが好きだと言うことだからあまり好ましくはない」と言った。しかし、それに対して「美しいものは美しい。それに、夕日を見て『沈んでいく美しさ』ととらえる人はまずいないのではないか」と言う答が帰ってきた。
 僕自身、このことに関してきちんと、自分のものになっていなかったので、このあとは言葉を濁して「深層心理では沈むと言うことを連想しているのではないか。また、こういう消えていったり枯れていったりするものに関しては、美しいものが多い」と答えた。
 その後、このやりとりに関しては進展はない。
 しかし、最近紅葉を見に行ったりして、単純に美しいものは美しい、と思った。
 ただ、紅葉をする木々から見てみると、そう単純なことなのだろうかと思う。花が美しいのは昆虫を寄せ付けるためだという説がある。では、紅葉はなぜ美しいのだろうか、と考えると答えは難しい。
 紅葉のメカニズムに対する科学的な答えはある。養分を蓄えておくために、冬には落葉をする。落葉する前に、葉に送る養分をカットしてしまう結果、赤くなると言う。
 紅葉とは、次の年に備えるためのひとつの策であることになる。夕日も次の日の朝日に備えるためと考えれば、ふたたび輝くための準備をする過程で、いったん輝くと言うことになる。つまり、次の輝きを求めるあこがれの中で、光り輝いている、と言うことも言えるのではないだろうか。結局、沈んでいくものも、上るもの解釈しだいかも知れない。


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