紫陽花

紫陽花祭り
紫陽花祭り

 先週の日曜日、紫陽花の写真を撮りに東京文京区、白山神社の紫陽花祭りに行った。初めて行くところであったことと、事前の調査不足のために、ちょっと驚くことになった。

 以前、雑誌か何かで白山神社では紫陽花祭りがあることは見ていた。でも、白山神社に向かって地下鉄に乗っていたときには、すっかりそのことを忘れていた。白山神社が賑やかな雰囲気だとは全く思っていなかった。
 紫陽花は梅雨のイメージと重なる。しとしと降る雨のように、どこか寂しげで悲しいイメージがある。僕はそういうイメージを期待し、写真を撮ろうとしていた。
 昨年、一昨年と訪れていた同じ東京の北区、飛鳥山公園はどちらかというと地味な所だった。祭りをやるわけでもないし、特に珍しい品種が咲いているわけでもないので、大勢の人は集まらない。それに、僕が行ったときがちょうど雨だったので人が少なかったのかもしれない。
 こんな、少し寂しいイメージを期待していたのに白山神社の紫陽花祭りは賑やかだった。紫陽花はこんなに賑やかなイメージが似合うのだろうか。でも、目の間に広がっている、大勢の人が屋台で買ったお菓子を片手に散策路をゆっくりを歩く光景には違和感はなかった。ただ、違うイメージを期待した僕はかなり混乱したけれど。
 帰り道、高校の時に毎年あった鎌倉撮影会を思い出した。写真部の「県大会」にあたる撮影会で、毎年6月の第1日曜日が撮影会だった。まだ、紫陽花が色づき始めたばかり、と言うシーズンなのにも関わらず、鎌倉の明月院や成就院には大勢の人が訪れて紫陽花を見ていた。
 このことを思い出して、白山神社がようやく自分の中でわかり始めてきた。

 紫陽花のイメージは、僕の中ではあくまでどこか寂しくと言う物だ。このことには自分の状態とかいろいろな要素はあると思う。でも、僕の考えとは違う捉え方もできる。梅雨の時期にひときわ大きく咲く紫陽花は、寂しい雲の下少しでも明るくしようとして咲いている花だというイメージ。こういう捉え方もあるのだと思う。


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