ひまわり畑

ひまわり
ひまわり

 僕があこがれるものの一つに大きなひまわり畑がある。写真の被写体にも良く取り上げられる、見渡す限りひまわりというやつだ。

 写真を始めてからずっと撮りたいものの中にひまわり畑も入っている。写真を始めてまもない時期か、始める前にひまわり畑の写真を見て、こういうところに行って写真を撮りたいと思ったことを記憶している。これは今でも同じで一面のひまわり畑にはいつか行って写真を撮りたいと思っている。
 なぜひまわり畑にあこがれているのだろう。一つは僕が一面の何々と言うのが好きだからだと思う。周りがすぅーっと開けた光景が好きなのだ。開放感があるし、どこまでも続いている感じがいい。広い草原が好きだ。今年の春に行ったオホーツク海一面の流氷やどこまで行っても大地が続く北海道はすごく気に入ってしまった。また、最近、写真を撮るときも景色が広く写るレンズを好んで使う事が多い。
 もう一つは夏の感じだと思う。今も、窓の外には夏の陽ざしが照りつけていて、うっすら汗をかきながらこの文章を打っている。暑いけれど、この感じも好きなのだ。夏の雰囲気をもっとも良く表すものの一つにひまわりがあると思う。ひまわりの背の高さ、花の大きさ、花の色。どれも夏的ではないですか? 夏の広さを象徴するひまわり畑だから僕は好きなのだと思う。

 最近、何人かの友達とメールや掲示板で話していて、夏と小学校が妙につながってると思うようになった。夏の思いでと言うと、高校以後友達と行き続けている旅行も入るけれど、一番大きいのは小学校時代なのだ。長い夏休みと、小さい自分。あさがおやひまわり、ラジオ体操や水泳教室。小学校の校庭、プール、裏庭。何もかもが大きく見えた頃。
 最近、妙に母校の近くを通るのは、小学校時代にあこがれを持っているからだと思う。考えれば、単に小学校時代が懐かしいだけではなくて、小学校のイメージに惹かれているのかもしれない。夏休み、ひまわり、あさがお、今では小さく見える、広い広い校庭。こんなものがごちゃっと自分の中にある気がする。


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