一面の水田
夏の水田

 日本人と言えば米。米を抜きにして日本、日本人を語ることは出来ないだろう。先週、NHKスペシャルで日本の米のルーツについての特集を放送していた。

 日本人がどこから来たかというのは大きな一つの問題だ。太古の日本には、中国などよりもむしろ東南アジア方面の文化が入ってきているという。NHKスペシャルはシリーズで放送されていて、何回か見た内容を総合すると、太古の日本は様々文化・人を受け入れた人種のるつぼだったようだ。そのごった煮から日本独自の文化は生まれたようだ。
 そこで米だ。米は元々暖かい地方が原産だ。暖かい地方で生まれた米は中国から渡ってきた人、はたまた、偶然にも中国から海流に流されてしまった漁師が、縄文時代の日本にもたらしたという。
 縄文時代とは、狩猟採集をする移動生活を行っていて、稲作は行われていなかった、と習った。しかし、今はその説は崩れ、縄文時代にも、米が作られていたというのが定説になっている。ただし、縄文時代の米作りは、焼き畑に種籾をばらまくような方法で行われていたという。やはり、縄文人達は定住生活はしていなかったのだろう。
 その後、今のように人工的に作った湿地、つまり水田で米を育てる方法が中国から伝わった。これにより、定住生活が可能となっていく。弥生時代へと移り変わっていく。
 すると稲作はものすごい早さで日本中に広がっていったという。九州・四国・中国地方から本州北端の東北地方まで伝わるのにかかった時間はおよそ200年という。元々、熱帯性の稲がどうしてそんなに早く伝わったのか。
 ここには、熱帯性の稲と、温帯性の稲を混ぜて植えるという知恵があったという。混ぜて植えると寒さに強い混合種が出来るという。この方法は今の科学でも実証されている方法だ。もはや、単なる知恵とはいえない域なのではないか。

 このような歴史番組を見ると、昔の人々の驚くべき知識を目の当たりされる。きっとその影には今の科学と同じような、小さい発見の体系的な積み上げがあったのではないか、と思う。


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