北条時宗

鶴ヶ岡八幡宮
鎌倉鶴岡八幡宮
白黒しか見あたらなかった

 先週、今年のNHK大河ドラマ「北条時宗」が終わった。時宗は、元寇の時に鎌倉幕府の執権の座にあった人物だ。

 ドラマは北条時宗が生まれる前からスタートした。時宗の父はおそれられる執権であった。しかし、結婚にひと騒動あり、側室に先に子供ができた(北条時輔)。当時は、正室の長男が跡取りという習わしであり、後から生まれた時宗が跡を継ぐことになる。
 兄弟の周りで、跡取り争いが起き、二人も騒動の渦中に巻き込まれていく。そして、元(当時は蒙古と呼ばれていた)が日本に使節団を送ってきた。
 ドラマは、時宗の変化と、兄弟の間にスポットを当てて展開が進んでいった。
 時宗は、最初、戦をする父に反抗する。その中で時宗は、戦をしないと誓う。けれど、実際に執権の座に着くと時宗は、幕府を巡る内乱、元との戦争を武力を持って制する。
 時宗は「戦いをなくすために戦いをする、鎌倉を守る」と主張し続ける。けれど、時輔(歴史上は元の使節団の騒動中に時宗の命令により打たれて、死んでいる)は「戦いは新たな憎しみを生むだけだ、新しい日本を作らなくてはいけない」と主張する。二人の間の溝は埋まらない。
 死期を悟る時宗は「新しい日本」を急に意識し始め、「幕府を変える」幕府内の制度改革を訴えるようになっていく。時宗が死ぬとき、隣には妻と時輔がいた。
 元寇までずるずる引きずる所に少々飽きを感じた。展開自体、無理があったし、時宗の変化を描く手法は格別新しいとは言えない。
 でも、僕はこのドラマを評価している。非常にタイムリーだと思ったからだ。執権に着く以前に「今の幕府を変える」様なことを言っていたが、結局普通の執権に収まる時宗。
 これは、今の日本の政治と一瞬シンクロしているような感覚を受けたのだ。けれど、改革には時間がかかる。時宗は志なかば、40歳を前にして死んでいった。

 あくまでドラマだけれど、死期を悟った時宗は次の時代を考え始めていた。一つの筋ができようとしていた。時宗の最期、時輔と時宗は理解しあっていた。


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