お正月

 今年の1月1日も友人と地元の神社で迎えた。毎年毎年、同じところで同じ人と正月を迎えるのもどうか、と思ったりしたこともあった。けれど、正月だからこそ身近な人と一緒に過ごすべきなんじゃないか、と思う。

 1月のことを睦月という。なぜ睦月と言うかには諸説があるらしい。その中に、家族が顔を向き合わせるから睦月という説がある。正月とは家族団らんの月とされてきたのだ。
 家族だけでなく、親戚一同もそろう。親しい友人も家に招いたり、ゆっくりとあうこともできる。そのために、年末から家の掃除をしたりして人を迎える準備をする。余り会えない友人とも近況を伝えあう。これが年賀状になったのではないか。
 年賀状も今では葉書だけじゃなくて、電子メールなどでも送れる時代になった。パソコンの年賀状は個性がないと言われたりもする。けれど、送らないよりはどんな形であれ送った方が良いと、僕は思う。
 年賀状以上に正月らしいのは、家族みんながそろって食卓を囲むことにあると思う。家族それぞれが、仕事、はたまた最近は子供も塾通いで、家にいることが少なくなって家族が向き合う時間が減っていると言われている。こんな状況の中だから、正月に家族みんながゆっくりと向かい合うことがいっそうクローズアップされていいと思う。
 僕の家は実際、三が日は家族が皆そろい食卓を囲むことが多かった。しかし、最近ではスーパーも正月1日から初売りを始め、予備校も無休で講習を行ったりしている。これは僕はいかがなものかと思う。もともと、正月にお金を使うとその一年は金を使うことになると、言われていて1日にお金を使うのは考えられなかったのだ。
 それが、便利さを追求したり、競争社会だからと言って1月1日から多くの店が開いていたりする。店で働いている人は、正月も休めない。これで正月なのか? と僕は思う。

 おせち料理の濃い味付けは、年末に用意したおせちが正月に傷まずに食べられ、1年中働いている主婦も休めるという。正月にお金を使わないと言うのも、ひょっとしたら正月は商売もみんな休もうという意味もあったのかもしれない。


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