卒業

桜
今年の桜

 今年も卒業のシーズンがやってきた。研究室の先輩方と後輩達が大学院、大学を卒業していった。小学校の頃は卒業と聞くと今生の別れのような気がしていたのに、今卒業と聞いてもまたすぐ会えるだろうと、と思う。

 今年は桜が満開の中の卒業式というところも多かったと思う。24日に桜を撮りに千鳥が淵を訪れたら、武道館で法政大学が卒業式をやっていた。桜のアーチに色とりどりの袴はよく似合っていた。
 翌日が僕の大学の卒業式だった。僕は残念ながら卒業式の日に先輩方と後輩達を送り出すことはできなかった。他にすることがあって、京都にいた。
 実は、前日まですっかり卒業お祝いを送ることを忘れてしまっていた。あわててメールを送ろうとしたのだけれど、一人を除いてメールアドレスを聞き忘れていた。電話をすることも考えたのだけれど、電話は少し違うかな、と思ってやめてしまった。結局、メールアドレスを知っていた後輩に卒業お祝いのメールを送り、全員への伝言を頼んだ。僕にとって、感慨深い卒業式にすることができなかった。
 僕は悲しくなった。卒業して出ていってしまうことが悲しいのではなくて、卒業に対して大きな感情を抱けなくなっていたことが悲しかった。自分が日常のことに追われていたり、小学校のように学校全体が卒業というムードではなかったことも大きいと思う。
 けれど、情報文化が発達していて、学校という枠組みが全てではない大学では、僕が思っているほど卒業は大きな意味を持たないのかも知れない。卒業してからでも必要であればいつでも連絡が取れるし、大学で学んでいる間も特定の人たちとだけ仲良くしていたし、大学外でもいくらでも友達は作れる。であるならば、大学の友人と大学内を中心に親しくなると言うのはさほど意味がない。

 大学の卒業式が終わった後、小学校の卒業式を思い出した。卒業式の後、友達や先生と離ればなれになることが悲しくて、先生と一緒にみんなで泣きに泣いた。今、そこまで純粋に泣けるか、と考えて、僕は少し寂しくなった。


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