9月11日

 アメリカで同時多発テロが起きたのが昨年の9月11日。
 現地時間午前8時46分に一機目の飛行機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだ。その後貿易センタービルのもう一つのタワー、さらにペンタゴンにもハイジャックされた旅客機が突っ込んだ。ペンシルベニア州の郊外にも一機の飛行機が墜落した。合計3000人以上もの人の命が奪われた。
 アメリカはその報復としてイスラム原理主義組織のアルカイダと戦争をし、その指導者オサマ・ビン・ラディンを生死に関わらずとらえようとしている。この戦争でも多くの方の命が奪われた。
 このテロと戦争の犠牲者達の冥福を祈りたい。

 同時多発テロから一周年にあたる今年の9月11日、いつも聴いているラジオでこのテロにちなんだ番組を流していた。感傷的になっていた自分の心もあって、9月11日についていろいろと考えた。
 飛行機が衝突・墜落する一瞬に多くの命が消えた。こう書いてしまうと簡単だけれど、それぞれの命は何ものにもかえられない事を想像していく。けれど、とてもじゃないけれど想像しきれない。想像しきれないし、その命を無駄にしないために何かをしなくては、と思ってもとてつもなく大きな物を相手にしなければならないような気がしてしまう。
 しかし、ひとつの番組は「極論で言うならテロは僕らとは直接関係がないし、テロを防ぐ事なんてできない。だから、そんなことをしようとしてもしょうがない。もっと身近なところでできることを探そう」というテーマで話を進めていった。
 身近なゴミのポイ捨ての問題とか、人間関係とか本当に些細な話からいろいろな話が集まった。でも、そういうところから始めれば良いんだよな。と思わせてくれる番組だった。
 では、この5日間僕は何かをしてきたか、と聞かれたら、特別何もしていなかった。むしろ、いつもよりひどい日々を過ごしてしまったと思う。些細な事を気にして前に進めなかったり。小さな事を始めるのも実はかなり難しいのかもしれない。


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