梅雨

アジサイ

 今年も、憂鬱な梅雨の季節がやってきた。僕は、かつて、このコーナーで「日本にはすてきな四季がある。なのに、 夏には暑いと文句を言う。冬は寒いという。日本人はいったいいつがいいのだろうと疑問に思うことがある。」という、外国の方の言葉を紹介したことがある。寒かったり、暑かったり、雨の季節になったりすると、この言葉を思い出すようにしている。

 忘れてはいけないのは、というか、物事の根幹にあるのは、僕らは地球が無くては生きていけない、自然の中でしか生きていけないと言うことだ。でも、そういうことは、僕らが日常生きている中では、全然考えなかったり、関係ないと思ってしまう。空気や水はあって当たり前、無いことなんか考えられない、と言うことだ。
 だから、ともすると、季節の移り変わりの中で、僕らにとってちょっとつらい季節、暑かったり、寒かったり、雨が続く季節になると、なんで、こんなに、暑いんだ? 寒いんだ? 雨が続くんだ? と思う。そういうことは、思って当然だと思うし、僕もよく思う。  それならば、暑い、寒い、雨の季節は、しばらく続けば去るのだから耐えればよいのか。確かに、耐えれば次の季節にうつって行くし、耐える部分もあると思う。
 でも、僕の考えは「耐える」と言うことではない。耐えるというのは、つらいことに対してすることだ。それも、本来あり得ないようなつらいことに対してすることだ。でも、暑い季節、寒い季節、雨の季節というのは、本来ある物だ。だから、耐えるというのには違和感を覚える。
 僕ら、動物にしろ植物にしろ、地球の生き物は、地球の環境の中で生まれてきた。日本で育った、日本の生き物は、暑い季節、寒い季節、雨の季節の中で進化してきた。暑い季節、寒い季節、雨の季節を受け容れるように育っているはずだ。それならば、別に耐えなくても、自然にそれぞれの季節をすごせるはずだとおもう。

 しかし、そういう理想はあるにしろ、つらいときはつらい。そういうときに、冒頭の言葉を思い出して、できるだけ、自然を受け容れるようにしている。


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