武蔵

 先週、今年のNHK大河ドラマ、武蔵が終了した。視聴率が低く、最終回でも14%程度だった。僕自身も、それほど熱心に見ていたわけでないが、年末恒例と言うことで、感想を。

 恥ずかしながら、宮本武蔵のドラマや本を見るのは今回が初めてで、巌流島での佐々木小次郎との立ち会い以外はほとんど知らなかった。でも、今回のドラマではその巌流島の戦いが少し浮いていたように思う。
 巌流島までの武蔵は、ひたすら強くなることを目的として生きる、巌流島後の武蔵は政治に巻き込まれながらお通と生きていく。そのあいだの巌流島の武蔵は果たしてなんだったのだろうか、と思う。余談になるが、ドラマの中、ひたすら言葉少なかった武蔵が、「小次郎破れたり」と叫ぶところはちょっと違和感があった。最近の大河ドラマはそれまでの通説を破るストーリー等を提案してきていたので、今回も大胆に「小次郎破れたり」のセリフはなかった方が新しい提案になったかな、と思う。
 さて、話を戻して、全体の中での巌流島の部分だが、実は「浮いている」というより、「転換点」ではなかったのかと思う。ひたすら強くなろうとする武蔵と、歴史の表舞台に近づき翻弄される武蔵が同居していて、微妙な違和感をもたらしていたのかもしれない。
 でも、それなら、もう一つの転換点、大阪夏の陣の後の武蔵の姿も詳しく描いてほしかった気もする。今年の夏、武蔵の最期の地である熊本を旅行してきたこともあり、少し興味があった。
 夏の陣の後の武蔵の生活というのは、僕は詳しくは知らないのだけれど、それほど華々しい物ではないのだと思う。しかし、落ち着いて暮らす武蔵や、五輪の書を書くに至った武蔵の考えがどうして湧いてきたかという部分にも興味がある。ドラマ中でもエピソードは盛り込まれていたが、剣豪武蔵と文豪武蔵が一人の人間の中にいかに同居していたかというのは興味があるところだ。
 今回のドラマでは、前半はとにかく「強さ」と言うことが強調され、極端に言うなら無味乾燥なイメージがあり、「このドラマは何を言いたいんだ?」と思ってしまうことがあった。一人の人間の成長ストーリーと見るなら、そういう作り方もあったかもしれないが、このドラマはそれだけではなかった、と思うのだ。


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