白い巨塔

600年前の「白い巨塔」
600年前の「白い巨塔」(金色ですが・・・)

 昨年から、先月にかけてフジテレビ系列で山崎豊子原作の「白い巨塔」が放映されていた(唐沢寿明主演)。後半では、前作(1978−79年・田宮二郎主演)を越える視聴率を上げるなど大きな話題になった。僕はドラマの方は、数回しか見ていないのだけど、原作を読み、ドラマの内容はフジテレビのホームページで勉強(?)してきた。

 山崎豊子さんが原作を書き始めたのが1963年(サンデー毎日に連載開始)というから、今から実に41年前である。さすがに、原作を読んでいると時代を感じる。
 それが、今回のドラマとなると、真新しい建物と最新の医療設備が整った大学病院。現代の俳優を豪華にそろえて、全然古さを感じさせなかった。もちろん、内容も今にあうようにうまく作られていたと思う。
 医療技術の部分についても、僕自身理系とはいえ、詳しくないのでよく分からないが、現代の医療水準にあうようにうまく作り替えられていたのだと思う。
 しかし、ドラマ平成版「白い巨塔」が高視聴率を上げられたのは、今でも大学あるいは大学病院に、教授を頂点とする組織、つまり「白い巨塔」、が積み上げられているのではないか、という思いが多くの視聴者にあったからだと思う。
 山崎さんの原作は40年経っても、全然古くなっていなかったということだ。逆に言うなら、大学病院の組織が40年間根本的には何ら変化していないということだ。そして、恐ろしいことに「白い巨塔」は、大学病院という組織だけでなく、民間企業の中にもあるだろうし、一部の官僚組織はまさに白い巨塔なのだろう。国会だって白い巨塔である。日本という国は40年経っても(いや、きっともっと前から)何も進歩していのか。

 僕は最近、「白い巨塔」の世界は進歩しようがないと思うようになった。一つの「白い巨塔」が崩れたとしても、また新しい白い巨塔ができあがるだけだ。里見(どちらかと言えば無欲で真実を追うタイプ)もいれば、財前(権力のためにのし上がっていくタイプ)もいる。そこには必ず権力への欲やそれに対峙する勢力があり財前と里見の間に繰り広げられたような壮絶な人間ドラマが生まれ「白い巨塔」が出来ていくのだと思う。


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