写真と文字

 今年も、秋口に高校の部活の卒業生と一緒に、写真展をやりたい、と話をしている。その中で、写真と文字の関係が何度か話題にあがっている。

 写真は色々な側面を持っている。芸術性や報道性、記録性。報道性や記録性を中心に見たとき、写真は事実を伝えることが重要な要素となっている。芸術性を中心に考えたとき、それは作者の考えがどのように作品に昇華されているかが重要になってくると思う。
 また、報道としての写真、芸術としての写真、記録としての写真という明確な区切りがあるわけでもない。戦場の報道写真は、人間の生と死をストレートにとらえる芸術性を持っている。その逆もある。

 なぜ、写真の芸術性と記録性について書いたかというと、写真をどう捉えるかによって、写真と文字の関係性が変わってくる可能性があると思ったからだ。  報道を主眼においた場合、写真の脇には必ず記事がある。写真だけ、文字だけでは伝えられないことを、写真と文字の双方によって、より具体的に伝えることが出来る。
 芸術を主体においた場合も、同じ様に、写真だけ、文字だけでは表現できないことが、双方があることにより表現出来る可能性がある。
 しかし、純粋に「写真」、と考えると、写真と文字を組み合わせることに、プラスの意味はあるのだろうか。写真のみを考えたとき、写真家は写真のみで全てを表現する事を頭に置かなければ、いけないのではないか、とも思うのだ。文字が入り込むことにより、写真は純粋な写真ではなくなる。小説家も、文字だけで、文字だけでは表現しきれない人の微妙な感情を表現しようとする。写真も同じ事が言えるのではないか。
 逆に、写真と文字があることにより、そこに新たな表現の可能性が生まれることも事実だ。片方だけでは表現しきれないことが、双方があることにより表現できる。写真という枠にとらわれない、新しい芸術や記録の可能性がある。
 これは、どちらが優れているとか、進んでいるか、と言う様な問題ではない、と思う。写真と一緒に、記事や詩、コメントなどの文字があるべきか、と言う議論はそう簡単に出来ることではないようだ。


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