世界の中心で、愛をさけぶ

 ようやく、日本一のベストセーラー小説、片山恭一氏の「世界の中心で、愛をさけぶ」を読んだ。実は、二ヶ月位前に一度読んだのだが、何か書くなら、もう一度読んでからにしようと思ってから、なかなか読む機会がなかったのだ。

 珍しく、1度目はかなりじっくり読んで、2回目はあっさり、というか、本の流れにまかせて勢いで読んだ。読み方としては2回目の方が良かったのかなと思っている。
 さて、「世界の中心で・・・」であるが、僕は映画もテレビも見ずに、本だけを読んだ。1回目に読み終わって、「はて? これがそんなに売れるのか?」と思ってしまった。そして、同時に、これは、映画、テレビの力でいっぱい売れたんだな、という考えが強くなった。
 でも、映画、テレビの力で売れるとしても、限度というものがある。これまでも、角川映画のように小説と映画を両方で売ろうとか、小説とテレビを両方売ろうとか言う試みは多くされてきた。あたったものもあれば、はずれたものもある。でも、これほどまでに、売れた本はなかった。やっぱりそこには理由があるのだろうと思う。
 そう、色々考え、もう一度本を読んだ。そこにいたのは、等身大のアキと朔だった。恋愛をして、そして悩み、苦しむ二人はちょっと手を伸ばせば届きそうな存在だ。「今どき珍しい純愛だから」という人がいるけど、僕はそうは思っていない。多くの人は、ラストの方は別として、こういう恋愛をしているとおもう。なかなか思うように事が運ばなかったり、終わってみたら二人の間には何があったのだろう、というおもいは多くの人がしていると思う。
 そういう人間関係が等身大の文章でつづられている。文章が稚拙だという批評も目にしたことがあるが、確かに稚拙なのかも知れないと重う部分はある。でも、ひょっとしたら私にも書けるかもしれない、という文章の雰囲気がアキと朔をとっても身近にしている。

 これまでのベストセラーだったノルウェイの森の文庫版では「等身大の主人公を登場させ・・・」という紹介文が書かれていた。ノルウェイの森の主人公はちょっと僕らから離れてしまった様に思う。今の僕らの等身大に近いのは朔とアキなのだと思う。


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