心中

 今週、心中のニュースを読んだ。僕の住んでいるところからほど近いところで、高校生の男女が橋の上から線路に飛び込んだらしいという。新聞のニュースにはそれ以上の詳しい分からない。でも、僕の家のすぐ近くでのニュースだっただけにちょっとしたショックだった。
 一方で、高校を卒業したばかりの男性が両親を殺害するという事もあった。どちらも、心穏やかに出来ない、痛ましいことだ。

 彼らがどうして、死という選択肢を選んでしまったかは分からない。でも、そこにははかり知ることの出来ないおもいがあったのだろうと思う。
 でも、こういう事件や、残酷な事件が起きると、「彼らのやっていることはよく分からない。何を考えているか分からない」という言葉でごまかしてしまおうという人がいる。僕はそういうふうに片づけてしまうのは好きじゃない。
 何を考えているか、分からない。という、結論を出すまでに僕らはどれだけ彼らのおかれていた状況や、考えを想像しただろうか。おそらくは、そんなことはほとんどしてなかったんだと思う。それに、テレビや新聞、雑誌の限られた情報の中で、それらしい答えを出すのはとても難しい。
 事件のごくごく近い部分にいた人は、彼らの心中を察することが出来るのかも知れない。でも、それはごく限られた人たちの中でとどめておかれる事がおおい。最近は、被害者・加害者に近い人が手記を書くこともあって彼らの心をさぐる手がかりにはなるのかも知れない。でも、人の心はそう簡単じゃないというのも事実だ。
 一方で、彼らがおとなしく、真面目で、目立たない人だったという話を聞く事もある。それに、先週の映画の話で書いたけれど、僕らは心の奥に普段は見せていない部分を持っている。だれでも、同じ様な事をしてしまう可能性は持っていると思う。いつも通るようなところで、高校生の心中(と思われる)のような事があって、やっぱり、こういうことは他人事じゃないんだな、と思い直した。


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