「沈まぬ太陽」

 「白い巨塔」の山崎豊子氏の小説「沈まぬ太陽」を読んだ。実在の人物の半生を小説にした物語だ。言うなら、現代の歴史小説、大河ドラマのようなものか。

 この「沈まぬ太陽」、平成11年(1999年)に単行本が刊行されている。読み始めたとき、というか読んでいるときは終始もっと古い小説だろうと思っていた。それは、企業が生む利権を多くの人がむさぼり、企業を腐敗させていく構図をあまりにも古く感じたのだ。しかし、実はたった5年前に刊行された小説だった。小説の出来事はもっと前のことだけど、5年間に刊行され、モデルとなった日本航空の周りではちょっとした騒ぎになった様だから驚きである。
 「沈まぬ太陽」の主人公恩地元(おんちはじめ)は、日本航空の社員であった人物がモデルにされているという。その恩地の会社との格闘と、「ジャンボ機墜落」事故で揺れる会社のストーリーが交錯する。
 ちなみに、日航ジャンボ機墜落事故は、1985年8月12日午後6時12分羽田発、大阪伊丹行き日本航空123便が、操縦不能になって埼玉、群馬、長野の県境付近にある御巣鷹山に衝突し、乗客乗員524名のうち520名が亡くなくなったという航空機史上最悪の事故だ。

 さて、インターネットで「沈まぬ太陽」で検索すると、賛否両論いろいろなコメントが読める。否定的な意見としては「恩地のモデルとなった人はこんな人じゃないし、事実無根のことが多すぎる」等の意見が多い。でも、あくまで小説なんだから重箱の隅をつついてもしょうがないとおもう。それに、歴史小説や大河ドラマも、大まかなところは歴史に沿っていても、詳細は不明だったり、架空だったりする。この小説もそう読めば良いと思う。そして、そこにあるのは、巨大な企業が生む利権とそれをむさぼる腐敗した構図だ。真実はいつの間にかどこかに追いやられ、権力を持つ人がますます権力を持つという構図だ。
 そして、思うのは、この小説の中に書かれているような構図が、今でも日航に残っているような気がしてならないということだ。それと同時に、同じ様な構図が、他の企業そして国そのものにもあるような気がしてならない。でも、実際にはそれは僕の杞憂にすぎないことを祈りたい。


 蛇足だが、「沈まぬ太陽」で山崎氏が用いたフィクションでもドキュメンタリーでもない小説。山崎氏、自身もあとがき中でこの「事実を小説として再構築する手法」の成否は第三者に問うとしいる。この手法には、僕はちょっと首をひねる。それは白い巨塔に比べて、山崎氏の文章の切れが悪い気がするからだ。ドキュメンタリーにするには闇が多すぎ、フィクションと言うにはあまりにも事実を知ってしまった山崎氏の苦汁の選択だったのかも知れない。


もどる